タイトルだけ見ると何事だ、感がすごいですね。
前回の記事でバンドについて書きましたが、今回は私のジャニヲタ人生として一つの分岐点を迎えた話を書いていこうと思います。
全然関係ないけど、前回、今のバンドブーム二大勢力の名前を書いたせいかほぼほぼ毎日こんなつまんねえブログにアクセスがあって、人気者の力ってのはすげえや…と感じています。
巷でジャニヲタの担降りブログなるものが流行っているらしいので、それに乗っかって担降りブログを書きます。
あと、私はジャニーズとの距離があった期間もあるため、そのことも交えつつ。
誰から?どのグループから?だとは思うんですが、私もそこはよくわかっていません。大倉担当を名乗っていたのですが、この記事を書き続けていると、どうやら私自身、本当に大倉担当だったのか、という疑問がわいてきました。なので今この冒頭を書き換えています。
もう、ジャニーズではないですが、赤西仁という絶対的存在すら揺るがされてしまった、ということは確かです。
赤西くんがKAT-TUNを辞めるまで、私は赤西担で大倉担でした。
ですが、赤西くんがKAT-TUNを脱退した2010年。
私は一度「掛け持ちを辞めて赤西くん一筋で生きていきます」宣言をしています。今も仲良くしてる人は覚えているんですかね、あの宣言。
私は忘れたいです(痛々しかったので)
なんで大倉担を選ばなかったのか。当時関ジャニ∞はシングル「LIFE」が絶好調の売れ行き、しかもその曲が主題歌になっているドラマに出ている大倉君。
「今支えるべき人は赤西くんでは」みたいなダメンズにはまる発言と思考回路を発揮して、大倉担として生きる道を一回外れました。
その後、赤西くんはさあてソロ人生これから!という感じで頑張っていたはずなのに、事務所に報告なしの結婚報道*1、事務所からはペナルティとして一年間の謹慎処分でした。
というわけで赤西くんは一年間メディア露出がなくなりました。CDだってもちろん出ません。もうなんのために赤西担になる宣言したんだろ…とかも思いました。
当時バンドミュージックなどにも興味がわいていた私はもうその色々が面倒くさいなあと感じ始めて逃げるようにバンドの追っかけに。
妹がまだ関ジャニ∞が好きだったことと、住んでいる地が関西ということもあり、こちらで毎週流れている「関ジャニ∞のジャニ勉」だけはよく見ていました。
2013年 妹が高校生に
4つ年の離れた妹が、この年の4月、めでたく高校生になりました。
妹からは「ジャニーズ好きな友達もできた!」と、そんな喜びの報告も。
「新しい環境を楽しめているのはよいことだな~」とか思ってました。
そのお友達さんは関西ジャニーズが好きなようで、妹もジュニアがたくさん出ている「少年倶楽部」を見始めました。私はその番組を横目で見つつ「もう私が知ってるジュニアの子達はデビューしてるし、新しい子はわかんねえな~」と思ってました。覚えるという労力すらなかったのです。
が、しかし。
2013年秋、少年倶楽部in大阪。赤西くんが復帰して二か月ほどですかね。
現ジャニーズWESTの重岡くんがとんでも発言をします。
「小瀧望おるやろ!あいつ赤西くんのこと好きすぎて、ジンアカニシみたいにノンコタニシって呼んで!って言いよんねん!!!」
えっ、どういうこと…
一年も干されていた赤西くんにあこがれて自分のことをノンコタニシって呼んで???????
コタキクンスゲエイイヤツジャン………
赤西くんがまた戻ってきたと同時に赤西担を再開した私にとって、まだ赤西くんが憧れられる存在であること。
それは本当にうれしくてたまりませんでした。赤西くんはアイドルなんだ。まだまだ影響力があるんだ、と思いました。
そしてそんなことを言ってくれる小瀧君。
心の底からいい子なんだろうなあと思い(込み)ました
でもいい人止まり。数年前に関ジャニ∞関連で仲良くしていた子が「小瀧は絶対化ける。」と発言していて、まあ実際化けていたので(主に身長が)「男の子って成長やばいよな」程度でした。
2013-2014ジャニーズカウントダウンコンサートにて
「ジャニーズWEST4」デビュー発表
なんだかんだ年越しの瞬間はジャニーズカウントダウンを見ていました。赤西くんが映り込んだりしないかな、という小さな期待も込めて。
ですが、この年は違いました。年が変わった瞬間驚きの発表が。
関ジャニ∞の後ろで踊っていたのを知っている関西ジャニーズジュニアの子達がデビューをすると。いやいやいやいやいや。ちょっと待って。桐山君と中間君はまあわかるけど…ねえ、なんでこの四人なの?正直嬉しくありませんでした。私が応援してきた関西の子達はもう、ほぼ全員やめていたからです。
その後藤井流星、濵田崇裕、神山智洋を含む現メンバーでのデビューが決まりましたが、どうしても受け止められずに意識的にみるのを避けていました。*2
が、ここでまだジャニヲタを続けていた妹が、すごいスピードで中間淳太君にはまり始めます。何が起こったのか、妹にも分かりません。私が妹をジャニーズにはめたように、妹が私をジャニーズWESTという沼に引きずり込もうと羽交い絞めにしてきました。
仕事が終わり家へ帰るとジャニーズWESTの映像が流れています。この淳太君かわいいんだよ。この淳太君がね。と話しかけてきます。
そして私、ここで「え、この小瀧君ってノンコタニシ?」と気づきます。そうです、デビュー発表の時に顔を見ているのですが、あまりの変わりようにその小瀧君がノンコタニシだと気づいていなかったのです。
赤西くんはもうすでに事務所を辞めていましたが、「ああ、この子はデビューできたんだ」となぜか胸に来るものが。くそ、赤西くんがまだジャニーズだったら共演とかもあり得たのかな…くそ…とか思い始めます。
そうです、元々ジャニヲタ。いくら茶の間で現場に足を運ばずとも、素質があるから名前だって憶えているのです。
でもこのときはまだ茶の間です。全然茶の間です。
2015年1月
「関ジャニ∞のコンサートのチケットがダブってしまったんだけど、一緒に入ってくれない?」
長い間仲良くしてくれている友達からのお誘いでした。この友達とは音楽の趣味なども似ているので、私がジャニーズと距離をとっていても、とても仲良くしてくれていました。
元々大好きなグループです。久々にエイトも見れて、仲良くしているお友達にも久々にあえて、なんてラッキー!恵まれているゥ!との考えで入りました。相変わらずおじさんたちは仲良くきゃぴきゃぴどうでもいい話で爆笑していました。かわいい。
と思ったのが悪かった。ジャニヲタの私、復活です。
と同時に赤西くんはすでにジャニーズ事務所を辞めていたため大倉担を名乗り始めることに。
出戻りババア図々しさの極み。
その後渋谷すばる君の主演映画「味園ユニバース」が控えていたこともあり、テレビ露出めっちゃある。すごい。関ジャニ∞こんなにテレビに出てる…とか思いました。
コンサートに誘ってくれた友達と映画も見に行きました。楽しい。ヲタク楽しい!!!!!!!!!!!!!!!!!!ジャニーズってすごい!!!!!!!!!!!!!!!!!!と、思っていたのも約三か月ほど。
2015年4月
上記に出てきたお友達は少し前に重岡君に降りていまして。
「妹ちゃんジャニーズWEST好きだったよね?すごいいい席のチケットが二枚あるんだけど、行きませんか?」
とのお声かけが。その公演の少し前は妹の誕生日。妹の誕生日プレゼントにもなるじゃん!と思ったので、ありがとう、ぜひ行きたいです。との返事をして、コンサートに行くことに。
となると「振付知ってた方が楽しいよなあ」「ねえねえコンサートの定番曲って?」と、妹に聞きます。妹が録りためていた番組を見まくります。
コンサート当日を迎えるまでに、大倉君にも作ったことのない、色の重なった手の込んだ手作りうちわが出来上がっていました。おかしい。こんなはずでは…と思いました。
2015年5月14日 コンサート当日
ひたすら小瀧君を見ていました。なんて手足が長いんだろう。ファーつけてデブに見えないなんてどんな平成体型だよ…明るい髪色似合うなあ、意外と声は低いんだなあ、頑張って歌おうとして音外しちゃってる…とにかくすべてがきゅーーーーーーーーーんっとなりました。
公演が終わって数か月経っても小瀧君の熱は冷めるどころかどんどん燃え上がる一方です。でも、なんとなく「大倉担歴10年」の肩書や「赤西くんのツアーもあるし金銭的にも」とか「いなくなった関西ジュニア」のことを中途半端に知っているだけに面倒くさいおばさん発揮。
新規なのに偉そうな懐古厨になりそうで、深入りは…深入りだけは…と思っていました。
でも、きっと降りる先は小瀧君なんだろうなあ。とぼんやり思っていました。
2015年7月10日 赤西仁「Me」ツアー大阪公演
赤西くんは事務所を離れてからも非常に精力的に音楽活動を続けています。
今回のアルバムは完成度が高く、本当に楽しみにしていました。
実際コンサートの詳しい内容はまだ公演中であるため、まだ行かれていない方のために触れないことにします。
公演終了後、2、3日経って気づきました。
普段はこの2、3日の期間抜け殻になるのですが、今回はその抜け殻を埋めるために、ジャニーズWESTの曲を聴いていること。
私の中で赤西くんというのは神様のような人です。
ジャニーズにいた時も、辞めた後も。
「神様」という言葉を使うとたいへん安っぽくなるのでできるだけ避けたいのですが、よい言葉が見つからないのです。
新興宗教赤西仁、とでもいえばいいのでしょうか…。
発言、行動、もちろん音楽やダンス、赤西くんから放たれるすべてのものが自分自身の深くて無自覚なところにまで染み入って、この人のことさえ忘れなければ、私は耳が聞こえなくなっても目が見えなくなっても声が出なくなっても、五体満足で生きていけなくても、心は私のまま生きていける、大丈夫だ。という本当にどこか信仰心を伴う感情でした。
大倉君のことが赤西くんのように好きだったのか、というとまた全然違う面から彼を見ていました。
大倉君の歌声もダンスもドラムももちろん好きです。
大倉君の低い歌声が好きです。ドラムも年々上手くなっていて、今はツインペダルを使いこなして、スキルアップすることに努力を惜しまない人。そういう姿勢は本当に格好いいなあと思っていて、私も頑張ろう、と思います。
もしボーカリストだったら顔だけで、というようなアンチになっていたかもしれません。正直ドラムもダンスもなにもかも大倉君よりもっとうまい人は世の中にたくさんいます。
関ジャニ∞というグループの中できらきらと笑う大倉君だから好きなのです。
大倉君がもし何かがきっかけで赤西くんと同じような辞め方をして、同じようにレコード会社を立ち上げ自分のやりたい音楽をやっても、たぶん好きです。でもCDを買ったりコンサートに行ったりまでして私は大倉君のことを追いかけないことだけはわかります。関ジャニ∞の大倉くんが見たいから。
小瀧君のことを考えたら、やっぱりジャニーズWESTの小瀧君だから好きになったんだと思います。そこは大倉君と一緒でアイドルとして、ジャニーズWESTとして小瀧君が好きです。
でも、赤西くんに対してこの人を信じて応援していれば私は大丈夫、みたいなちょっと気持ち悪い感情を小瀧君に思うこともあります。
今、彼を応援していったらたくさんの楽しくて知らない世界が見れそうだなあと、初めての感情も出てきました。
ああ、たぶん私これから10年は小瀧君のことが好きなんだろうなあ、と通勤電車の中でぼんやり思い、「降りよう」、そう決意しました。
これがわたしが出戻った上に、担当まで変わった経緯です。
とりあえずこのブログ書くにあたって赤西くんが辞めた時のこと思い出してたんですけどショックすぎて記憶吹っ飛んでてマジで時系列むちゃくちゃだったんでうぃきぺであさんで調べるレベルでした。ネットってすごい。
関西人なのにオチがつけられないしりすぼみなブログですみません。
とりあえずこれで終わりということで。
小瀧君、赤西くんを憧れてくれてありがとう。
*1:実際、赤西くんはこれから了承を得るはずの日と、メディアが事務所に断りなくすっぱ抜いた日が運悪く重なりました。その報道が出た朝、事務所サイドから電話が。「今から説明しに行く予定だった」と伝えた赤西くんですが、「もう報道が出ちゃった以上何言われても無理だから」との一言でおしまい。この2012年3月以来赤西くんはジャニーズ事務所に籍を置きながらも事務所の人たちとの関わりは一切なかったそうです。2013年復帰後初シングル発売イベントと、2013年ジャニーズとして最後のライブでも語っています
*2:今はむしろこの7人でバランスが取れているように見えるので他の関西ジュニアもデビューできますように、と祈るばかりです。