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さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

どうして私は懐古するのか

以前、懐古厨についての記事を書いた。


ツイッターで大流行りしていたバンド界隈のタグのことについて、イラっとしてツイートでは収まりきらずに書いた記事である。

私は好きなバンドについてあの時期が良かったこの時期が良かった、というものはあまりない。

過去のあのアルバムが好き。それはあのツアーにたくさん行ったから。あのアルバムにすごく勇気をもらったから。とかいう理由だ。
でも今の最新はやはりそのバンドの最新の状態だから、いつだってその時期が最高。好きと最高は一致しない。という考えである。

例えばメンバーの入れ替えがあるバントだとしても、あの時期のメンツが、その時期の歌が、と「時期」「メンバー」に固執することは本当に少ない。(固執するのはフジファブリックぐらいである)

ただ、ジャニーズについてはかなりの懐古厨だと、目を背けていたが、認めることにしました。
あんな記事書いて皆さんごめんなさい。
私も懐古厨でした。

というような感じで、認めてからというもの、ずっと考えていた。
なぜ私は懐古してしまうのか。
懐古すること自体がいいか悪いか、で考えると悪いことではないと思うのだ。

ただ、それはきちんと「思い出」として、青春の年報とかにまとめていつでも取り出せる状態になっている場合だけだ。
いつでも取り出せる、ということは、いつでも元ある場所に直せる。

「今」と「過去」を別物として話ができる。
ということは、未来の話もできる、はずだ。

では、私の懐古っぷりはそうなのか?
違う。明らかに答えはNoだ。


つい先日、関西Jr.の子達が「BIG GAME」を歌った話を見て、その時の少年倶楽部は見なかった。怖かったから。

私がまだまだジャニヲタ学生真っ只中の数年前、私が関西Jr.の中で一番応援していた彼は、
ある日、松竹座の公演を休んだ。
たまたまその日入っていた友達から
「彼休んでたんだけど!なんか変な空気だったよ」とメールをもらった。

次の日の新聞で、彼は犯罪者として名前が載った。

あの日世界では何が起こってて、そういやメールは何時頃もらったのか、季節は春夏秋冬いつだったか、調べればすぐにわかる。
ただ、調べて納得してしまえば、わたしの中で「思い出」となって、アイドルとして、あの瞬間、魔が差してしまうまで、
頑張っていた彼をわたしの記憶の中で殺すような気がする。

だから、その感情と彼を一緒に引っ張りだして、
今のキラキラして、注目されている他のジュニアに、あの負の感情をまだ上書きをしようとしている。

本当はもう、全部ちゃんと悲しかったね、と一言そえて思い出の中にしまっていいはずなのに。

関ジャニ∞とNEWSから一人欠けた日、その欠けてしまった子が好きだった女の子は授業中なのに号泣した。結局具合がすぐれずに早退したレベルだ。
もともと泣き虫な性格の子ではあったが、そんなになのかあ、なんて、ジャニヲタになりたての私はぼんやりしていた。

でも、どんどん環境が変わって、錦戸くんが、エイトを選んだ時、エイトのファンが「錦戸くん戻ってきてくれてありがとう」みたいなブログをこぞって書いていて寒気がした。
2.3個読んだけど、好きな人がいなくなる辛さを知らない人が書く文章だった。

KAT-TUNから、大好きな人が抜けた日。
私は何も覚えてない。ショックすぎて何年前の出来事だったか、未だに検索をかけて調べるレベルだ。

たくさんの「好きな人」がステージから姿を消した。ステージには立ってはいるけど、あの「好きだった時の姿」ではない人もいる。

考えても考えても出てくる答えは
「あの時を忘れたくない」だ。


ジャニヲタ学生だった私は、青春とともにジャニーズがあった。ジャニヲタの友達と喋ったり、ジャニヲタじゃない友達でも「こないだテレビに◯◯くん出てたね、面白かった!」と言われれば、自分のことのように嬉しかった。
「今度あのグループのコンサートに行くんだ!」「えー!いいな!楽しんできてね!」みたいな会話とともに大人になった。

彼らを忘れるということは、自分の青春をなかったことにすることだ、と思ってきた。
そして、必死になってステージに立ってくれていた、彼らの勇姿をなかったことにすることだとも思った。

でも、それは「ジャニヲタの私」の記憶であって、「私自身の青春」とは少し違う。

中学高校の頃の私は、課題の提出遅すぎて先生に怒られたな、とか、そういやテストの点数思ってたより良くて嬉しかったな、とか、あの先生のあの癖面白いよねとか、同窓会でもちゃんと喋れるぐらい記憶と思い出がある。

じゃあ、彼らの勇姿は消えるだろうか?

ちゃんと私の中で思い出として整理されれば、きっと彼らのことを知らなかった人たちにも「実はすごい子がいたんだよ」って思い出としてこっそりニヤニヤする材料になるかもしれない。
「やめてしまったけど、きっととどこかで元気でやってるよね」ぐらいは思えるようになるかもしれない。

きっとバンド界隈の懐古厨の人も青春を忘れたくないのかな、とほんのりわかった気にもなった。

すべての感情や記憶をきちんとした思い出に変えるのはまだまだ時間がかかりそうだ。

でも、いつか「ああ、彼も元気でやってんのかなあ」と思える日が来るように。


バックでも主役でも、どこにいてもキラキラしていて、あの時ステージに立っている君が本当に大好きでした。

きちんと向き合えるその日まで。

では。