さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

私には何にもないから

 

もう頑張れない、と心が狭くなるといつも思う

 

死にたいとか私の存在を消したい、とかではなく、上向きの気持ちを継続させて、さらに押し上げてやることができない。
きっと悪いことじゃないけど、悪いことのように感じる

 

人と関わりたくない日が月に2.3日ある。
さすがに話したくなくても話すでしょ?みたいなことを言われた
話す話さない、ではなくてとにかく誰にも私を知られたくない。

 

ネットがあればどうにかできるし、とか思う。
誰かに私という外面の形を知られたい、それを見てどう思ったか、を知りたいという承認欲求は、外見や体型のコンプレックスをどうにもできていないのじゃないか?という自分自身の認知の歪みから来ている。
そんなことは昔から知ってる。
足を出したりして、褒められるのが好きだった。

 

あれ、私の心臓はどこにあるのか、とぼんやり思う

 

依存症であるのは認める
ツイッターに張り付くし既読無視は平気だけど、どこで誰がなにをしているのかを知りたい
知ったところで不安になるのでネトストはやめた。

 

辛いことを辛いと言えるひとが羨ましい
彼氏がいなくて彼氏ほしい!と大々的に言える人とか
お金ないから今月貸して〜!とか
前者は必死なのかもしれないし、後者はクズなのかもしれないけど、見栄を張ってる私なんかよりよっぽど怖いものなんかなさそうと思う

 

それを見下して私は生きてる

 

私の生きる糧は「あの人バカだな」と心の底からの嫌悪で成り立ってる。
尊敬してるひともいる。でもそれ以上に負の感情が動かすエネルギーはつよい
ああはなりたくない、私はあそこまで地に落ちてない
私は頑張ってる。思い込んで言い聞かせて眠たい目を必死にこすりながら、今日も必死に体を動かす

 

仕事が嫌なわけじゃない友達も好き、でも何かが不足してる
コンプレックスばかりが多い
なにも気付けない自分が許せないさっさと死ねばいいのに

 

あの年のクリスマスイブに死のうとしたのになんで死ななかったの?

昔の私が天井から落ちてくる

 

呼吸を乱しながら死ねばよかった、と思いながら泣きながら目覚める
あの時殺してやれなかった自分にひたすら謝りその気持ちを葬り去りながら後悔する


もうあそこには戻らない あんなグズグズな人生には戻らない

戻らないことばかり気にしていたら、進んでいるかどうかさえわからない

 

寝て起きてすっきりしたことがない
よく寝た!とは思う。でもまだ寝れる、といつも思う。
よく頑張った!とは思う。でももうここまででいいよ、なんて言えない。
すっきりしたことがない人生

 

占いの本には遅咲きと書いてあった。
それが待てないので、やっぱり死ぬしかないのかな、とこんな小さな画面を握りつぶすように今日も眠る