さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

コストパフォーマンス

 

 

諦めが悪いのである

自分の言った言葉に責任を持たなくてはと思うけど本当は持ちたくないしそんなこと考えなくていいぐらい無責任になれたら良いのにと思う日なんかほぼ毎日

 

ここ半年ぐらい、まあ今日死んでもいいかと思いながら生きている

 

それは今日死んでしまうぐらいいい日だったな、とか、死んでもおかしくないんだから良い日にしましょう、とか、そういうことではなくて、まあ言葉の意味にそれ以上も以下も本当になくて

 

諦めが悪いので、こういったら?ああいったら?を消すためには、わたしが感じやすい諦めの情景が「死」だったので、死んでもいいかと思っている

 

まあ何回か死にかけてるんですけど、死ぬ死ぬいう奴は死なないっていうテンプレみたいなことしてて、ほんとクソださという感じなんですけど、やっぱり一度ここから落ちたらもう終わるのか、というあのふわっと足元を通る風を経験してるのってつええな〜って厨二みたいなこと思っちゃう。

 

でも人間以外と死ねない

警察に見つかると怒られたり自分の住んでるまちの役所に「おい!お前のまちに自殺志願者がいるぞ!」って連絡いったりしてくそくそくそくそ面倒なことになるので、その前に飛び降りるのが吉です

 

こないだ飛び降り失敗した時に言われた「生かされたと思って諦めてください」という言葉がとても詩的でよかったなと思い出してる

 

僕は君のことが嫌いってわざわざ言ってきたわたしの好きな人元気かな

まだお前のせいで死にたいし派手に死んでニュースで目にしないかなとか思っちゃうよ

 

ちなみに死んだら負けではなくてちゃんと色んな人に憎しみが生まれます

 

こんなこと書いてたらいつ殺されてもおかしくないな

 

おしまい