さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

死ぬことは救いだよ

 

 

死ぬ、と決めて飛び降りができそうな場所へ行ったことがある。5年間のうち2回。ODに関しては高校生のころから常習犯だし、そのせいで命を落としかけたので、薬はあんまり飲めない。自殺未遂の回数については多いとか少ないとかはこの際よくわからないので無視する

 

実際飛び降りはできなかったし、警察にお世話になる羽目になり本当に疲れた。飛び降りようと思ったまではよく書くけど、柵を越えてからの話を書いてないので書こうと思う

 

柵を乗り越えるのにはコツがいって、大概私みたいに簡単に飛び降りないように少し胸の位置より高めになってる。そうなるとなかなか力がかけにくいから。

グッと腕を伸ばしきってそのまま飛び上がる形でジャンプする。運動神経が良くてよかったなあと思う。

 

片足を外に出すのは簡単なんだけど、もう片足を道路とかそういう部分に出すのは死ぬって決めていても勇気がいる。腰掛ける形になったら、ぼんやりと、踏ん切りがつくまで待つ

結局踏ん切りがつかなくて、そのまま飛び降りできなかったんだけど

 

あの両足を外に投げた状態で、ぼやぼやと見える夜景は本当に綺麗で、このままなんでもできたらいいのに、と少しだけ祈ってしまう。

 

好きな鬱曲を聞いてるとどんどん病んできて、このまま落ちれそうだなと思う

 

だけど、落ちれそうだなと思うまでは大体1時間ぐらい時間がかかるので、その間にパトカーも救急車も消防車も来て死ななくなる いつもそうだ

 

目の前で死ぬ人は助けるくせに、自分の言葉や行動が死にたい人を作ってるなんて思わない人はみんな死ねばいいのに、と思う

だけどあのキラキラした、本当に自分が世界で一番賢くて、だからこそ一番悲しくて寂しくて、一番孤独で、というような、その、あの感覚は味あわせたくないなとも、とも思う

 

死んだって何も変わらないとはよく言われるし、死ぬことが本当に他人を救うのかはわからない。

だけど、足元を見れば真っ暗なのに、夜景の景色がやけにキラキラしていることとか、ODをして薬が体に回ってきて体の力が抜けていって辛いことがどうでも良くなっていく感じとか、線路に呼ばれているような気になるとか、全然私はそこにいるけどいてなくて、死を決定してるのに全部他人のせいにできてしまいそうな、あの全知全能感が本当に本当に恋い焦がれてしまう

 

死に向かうだけでこんなに救いなんだよ

 

生きていくのは戦い続けなくちゃいけない 折れてしまうことの方がうんと多くて、大多数よりうんと多くて、もう頑張れないなと人生で何回思ったかわかんない

 

死ぬことを選択した6年前のクリスマスを私は一生忘れないと思うし、あの時見た、クリスマスのイルミネーションとは全く関係ない、やけにキラキラしたあの世界をもう一度味わいたいなあと思う

 

まあでも本当に死のうとするのはね、オススメしないです。

周りの信じてた人に大量に嫌われてたんだなとかも伝わってしまうし。

葬式で残された側もかわいそうだしね。

 

まあそんな感じ うとうとしながら書いたら全然まとまりないね 本当に早く死にたいな