さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

疲れたな

 

 

頑張らなくていいよ、と言われるのが多分人よりかなり苦手である

 

もちろん、親しい人が悪意なく、わたしのことを考えて言ってくれているのはわかっている。

 

それでも苦手なのである。あ、だからと言って言葉を選べとかそういうことではないので、今まで通りありがたいなあと受け取ろうと思っています。

 

なんで苦手かというと、わたしの中で頑張らない、というのはゼロの状態を指している。

朝体を起こす時点でかなりの頑張りが必要で(朝がかなり弱いため)、体を起こしてから化粧をしたり朝ごはんを食べたりもうこの時点でかなりのエネルギーを消費する。

頑張らなくていいのであれば、ご飯だけを食べて、ダラダラダラダラダラダラ携帯をいじったり横になったりするのだけど、その誘惑というか惰性というか、そこに打ち勝つのに「仕事の日だから」の意識で切り替えられない。

とにかく「頑張るぞ」と思うことで意識をフルにしていないとすぐに惰性に負ける。

 

 

仕事の中身もそうなのである。

もちろんじっとしているのが無理なのでこの仕事を選んだのだけど、

「大きい声を出す」「笑顔をつくる」

などはわたしの中でかなりの頑張りが必要で、意識してないとたまに真顔になるし、普通に友達に喋りかけるような声のボリュームになってしまう。

 

頑張らなくていいよ、と言われると本当にどうしていいか悩んでしまう。

そのぐらいわたしにとって頑張らないことは「家から出ない」と同義語であり、そしてなおかつ、「ほどほどに」は手を抜く感じがしてとても苦手なのである(頑張ってないとそれができないから、元々ができていて頑張りでさらに笑顔!とかじゃないからだと思う)

 

 

そういえば、いつも好きになる人は「頑張りすぎじゃない?」じゃなくて、「お疲れ様、今日も頑張ってるね」と声をかけてくれる人だったな

 

結局誰かに認めて欲しいんだろうな、と思うと頑張らなくていいよ、が苦手なのもわかるな、と思う

 

好きな人に会えなくなる直前に、送られてきたラインには「あまり無理しないでね」と書いてあったな

お世辞であっても自分の欲しい言葉じゃなくてもびっくりするぐらいわたしに向けられた言葉で嬉しかったな

 

その無理をやめたら会えるのかなあ、なんてありえないことを思いながら結局今日も泣きながら電車に乗っている