さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

病むのダサいからやめたい

 

 

「病み」は死んだ

トレンドではないし病んでるって言えば気を引けると思ってんだろメンヘラぐらいの世の中

 

生きづらいなとは思う反面そりゃ病んでるより明るい方がいいに決まってんだろと思うこともある

 

自分の悲しみや苦しみや怒りとか負の感情ときちんと向き合えたら、それはそれでかっこいいと思うんだけどわざわざ病んでるなんていう言葉にしてこんなブログを書いてる私クッソダサいと思うことが多々ある

 

まあここ最近回復早くなってるけど引きずってる

 

こないだ体だけの関係の人と久しぶりに会った。連絡は取り合っていたけど最後に会ったのは去年の10月とかなので本当に何世紀ぶりだよ、というテンションで、結局飯食ってセックスしてだらだら喋ってその日は解散した

 

そういやこの人突然毒を吐く人だったなとか、ご飯割と好みがよくあったなあとか、元々痩せ痩せだったのでいい意味のつもりで前より太った?って聞いたら、もうアラサーだな…食べるものは変わってないよ…と無駄に凹ませてしまってアワアワしたりして、それを察しされて向こうにもアワアワされたりして、なんとなく面白くなってお互い笑って終わった。

 

その人のことを好きとかどうこうではなくてどうしてきちんと手順を踏んでお付き合いにまで発展させられないんだろうと思っていたら

 

翌々日ぐらいからめちゃめちゃ凹み始めた

 

 

手順を踏むことだけが全てではないと思うけど大多数の人ができていることができていないということがここにも響いてくる。

セフレいるんだよえっへんというブログではなくてもうまじでいつまでこんなことで悩んでるのか謎 とりあえず誘われたら寝るのをやめたらいいだけなのに

 

これはやっぱり私のある程度の弱さとかまあなんというかだらしなさというか

 

寂しいから、というのは絶対にある。根底にある。可愛いと言われたいちやほやされたいがんばってるねって言われたい。男性に。なんで男性と言い切るかはわからん。好きな人になのかもしれない。それを好きな人に言われないから多分男性に言われることですり替えてると思う。

だけどここ最近は面倒臭いも先に来ている。

誘われた時点でほら!今日もそうなると思ったよ!という感じだった。

 

そこで断られて関係性が終わるのも怖い、というとよくある話なんだけどそもそも体だけの関係なんだから終わったところで、その怖さや悲しみは私1人で乗り越えなくちゃいけないもののはずだ。

 

私の体を触らせてあげるから私の寂しさを助けてよなんてそんな馬鹿な話あるか

 

セフレから抜け出す方法とかセフレ沼から脱却とかセフレから彼女にとかいろんな本やブログに書いてあるけどそんなもんない。

 

そうやって抜け出すというか、関係性が彼氏彼女におさまれる人は本当に性生活を楽しんでいる人だけで私みたいに寂しさを理解してほしくて誰かの胸に潜り込んだりしてるうちは無理。

 

頭ではわかってる だけどやっぱり寂しいときに他人の胸を文字通りお借りして寂しさを紛らわせたりしているのでクソだな。

自虐とかじゃなくて「ああ〜!!!!!!くそ〜!!!!!!!わたし〜!!!!!!!しっかりせ〜え〜!!!!!!!!!」ってなる

 

まあ以前はこんなに寂しいのに!1人にするなよ!とキレていたのでまだマシかと思いたい

 

あーでもやっぱダサい。

付き合ってから寝る女になりたい。

そこから飽きられるようであればまた考える方がよっぽど前進すると思うんだけど。