さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

触らないでくれ

 

明らかに私が働けなくなったな、と思っている時がある。

2013年の12月と今。

今はもう明らかに過去のうつ状態や精神状態を無視して走りまくった結果だと思っている。

休むことを忘れると人間は精神的にどんどんやられていく。

人と話すのももうそんなに怖くないし、外に出るのもある程度大丈夫だけど、それでもまだ徒歩5分以内のスーパーであんまり見慣れない店員さんとのやり取りが怖いし、人とすれ違うのがまだ怖い。あと、読む本の文字が滑る。新しいことが全く楽しくない、人の意見に普段以上に否定的。こんな言い訳を書いてる時点でそもそも逃げ腰。何度も何度も抑うつ診断をいろんなところで食らってきたからわかる。抑うつ寸前。一つわかるのは、今この状態だから無茶したらまた精神が死ぬ、ということだけ。

それでもご飯を食べるお金はいるから、働かなくちゃいけない。つらい。仕事は随時募集しています。

 

少し話を遡る。先ほど書いた2013年の12月。私があそこで少しでも足を止めて、働くことをやめていたら、絶対に楽になっていた、と確信している事がある。整理のために書いていく。

ここは私の記憶の置き場なので、過去のネガティヴなことだけど、自由に書く、書くぞ…

 

2013年。私がひたすら自傷行為に励んだ年。

そして飛び降りチャレンジ第一回目の年。

 

きっかけは、この約1年前から始めた飲食店のアルバイトとわたしの抑うつがひどく重なってしまったのである。まずは学校に行けなくなり、辞めることになってしまった。この辞めたことに関しては、バイトがというよりは、親への反発で絶対的に私のメンタルに不向きなジャンルを選んでしまったので、人生って難しいなあと思った。

 

そのままだらだらと働いていたのだけど、学校を辞めたのなら、とまずシフトの時間帯が夜から昼に変更になった。ひたすら怒鳴られる。教えてもらってません、と言えばその日一日中「これだから夜のアルバイトは」と言われる。後から入ってきたランチのアルバイトの子は教えてもらえるのに、私は聞きに行っても無視だった。

そういったことに対して抵抗したりする術も持ち合わせておらず、ただただ言われるがままに本当に毎日働いていた。

 

折り合いの悪いパートの人に1時間以上早くタイムカードを切られていても文句が言えなかった。交通費が学生とパートで違うことがわかっても何も言えなかった。辞めると言っても辞めさせてもらえない、そしてどんどん辞めるとも言えない空気の中で、脳みそがおかしくなっていたので、クビになるしかない…と思ったので、勤務態度を悪くしてみた。遅刻する。だるいから帰る。返事をしない。無断欠勤してみる。普通だったらここでクビ。でも、電話がかかってきてみんなの前で謝ってまた継続して働くことになった。

時給も安ければ普段から慢性的な人手不足、入っては辞め、入っては辞め、を繰り返しているお店だったので、私が抜けるとリアルにお店が回らなかった。やばい店だった。(今思うと)

もちろん明らかな罵詈雑言や、ハブられたりはしっかり増えた。

厨房の社員さんだけが「若い」「何も知らない」「女の子」というだけで味方して可愛がってくれた。

 

2013年の12月の手帳の字が、まるでみみずのようになっていた。

ストレスで字が書けなくなっていることに気づいたのはそこを辞めてからだった。

どうしても辞めることができない。どんどん仕事量が増える。なぜか中途入社の社員の人に仕事を教える。シフトを取りまとめる。よくいうバイトリーダー的なやつだ。朝の10時から夜の23時まで帰れなかったことも割とあった。店長より休みが少なくて、本社の人から携帯に電話が来て、本当にこれだけ働いたのかと事実確認されたこともある。いや、せずにタイムカード押してたらやばいだろ。と思う。

ストレスでどんどん起きれなくなるので、社員さんが電話して朝起こしてくれてた。ここまでバイトにする必要があるのか。いやそもそも勤務態度最悪なんだからクビだろ……と思う。

ちなみにあまりにも返事をせずに業務を続けていたら店長にお盆を投げられてから、ちゃんと返事するようになった。

 

今これを思い出しながら書いているのだけど、胃が痛くなってきた。

これを当時のほぼ最低ライン、時給890円でやっていたので本当に怖い。ちなみに求人には910円で出ていたと気づいたのも辞めてから。この世のブラックバイト全てを煮詰めたみたいな話すぎて自分で思い出しながら本当に怖い。

恨みつらみでなく、働けなくなるまでの事実を書こうとするだけで千文字超えてしまった。これもまた怖い。

 

この働けなくなった12月、さっき書いたみたいに私は1回目の飛び降りチャレンジを果たして、失敗した。

12月31日のお店を早く閉める日に、全然時間通りに進まなくて、ついに厨房の社員さん(当時めちゃくちゃ好きだった)に愛想を尽かされて、終わりだと感じた。それぐらい世界がそこしかなかった。

1月1日の正月の出勤をどう休むかを考えまくった結果、私は携帯を置いて家を出る。仕事は休むと連絡してくださいと親にメモ書きを残して、家を出る。当時初めて東京に行ったりもしたので、東京で死のうかな、と思ったけど、全く知らない人たちに「飛び込みとか迷惑」と思われるのも癪だなと思って関西圏をうろうろした。

 

思いとどまったのは、すれ違った女の子が私のクマのスヌードを見て「くまさんかわいい」と言ったから。くまさんのお姉さんが死にました、なんて女の子には絶対伝わらないけど、他の世界に久々に触れた気がして、交番に行って助けてくれって号泣した。正月からやめてよ!って交番の警官の人はやんややんや言いながらも、生きてね、と言ってくれた。その人たちと何を話したか、今でもしっかり覚えている。

 

そして何とか辞めると言いに行って辞めたのであった。(その時も何とか朝の準備だけ来れないかとか色々言われて結構大変だった)

 

そしてそこから2週間ほどで派遣を探し、派遣をしながら高校生の時にお世話になったバイト先の人から、声をかけられて、また元いたところへ戻るのであった。

 

そしてそこからほぼ休みなく、とにかく仕事を途切れないように働いてきた。お菓子会社を辞めた時も明らかに鬱だった。朝起きてから夜寝るまでずっと泣いていて、それでも生きるためのお金がいるからと思ってバニーガールの仕事を始めた。そして今回また体調を崩して辞めている。絶対に抑うつをうまくコントロールできてなさすぎる。そもそも労働が不向きなのかもしれない。

 

いや、労働自体は別に普通。思い返しても一人で仕事をしていて不快を感じたことがあまりない気がする。学校もそもそも勉強にはついていけてた。(勉強はめちゃくちゃ好きだったし)

ただそこに付随するコミュニケーションが極めて苦手。どうして自分のことを話す必要があるんだ。話さない側に徹していたこともあるが、それを続けていたら怖い人と噂されるようになってしまった。困るな。

 

働くのって難しいな。コミュニケーションって友達とだけじゃダメなのかな。そもそもやりたいこととか働きたいことってすごく難しいな。やりたいことが本当にない。やりたいことって何?そんなに見つかる?そもそもやりたいことって安定の上に成り立つ気がする。人生とか精神がそもそも安定してないからやりたいことが見つからないのかも。かと言って精神疾患の実録!的なのを書けるほどちゃんと病院に通ってもいないし、普通の人から見たらめちゃくちゃに見えても、通院していた時には措置入院すらいらないと言われていた。(自殺未遂繰り返しすぎて入院はしたけど)

私はそもそも病気なのか??????ただの怠惰なのでは?もうつらい。とにかく労働はできるけど人とコミュニケーション取りたくない。というか大多数とうまく取れないのに、うまく取れるとなぜか思われてしまう。八方美人なのか?

あとここ最近彼氏以外と喋ってないから、言語能力が落ちてる。やばい。人と喋らなくては、という不安もある。

 

彼氏からはYouTuberをひたすら勧められている。叩かれたら怖すぎて、どうしても頷けない。

 

誰かなんか仕事をください。というかお金ください。突然石油王に五億振り込まれたい。