さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

使い分ける道徳

 

朝帰り

 

私立の制服を着た子どもとその母親が隣に座っていて

そこそこ混んでいる電車でも、母親は手提げを座席から避けようとする様子は全くなく、うーむと思う

 

ここ最近、お客様とご飯を行こう月間(というほど大層なものでもないが)にしていて、ご飯を行くたびにご飯を食べる姿勢を褒められる

洋服選びからTPOを求められているということはおばあちゃんが裁縫である程度お金を手にしていたからで

あれだけお店ではしゃいでるのに、ご飯すごく綺麗に食べるんだね、お箸の使い方きれいだね、そんなとこまで見てるのかと辟易する反面、そういうことを教えてくれたのは父と母で、正直助かっている部分は大きい

 

小学校6年生の時に、あまりにもテストの100点が続くので隣のクラスから塾に行かないのに頭のいい奴がいると人が覗きに来たことがある

 

中学もそもそも学校には行かなかったけど、内申点を落とさないために定期テストには参加して(ずる賢い!)実技のある学科以外は「1」を免れていた

 

ずっとずっと頭が良いと言われてきた、ある程度空気が読めて、TPOが身についていても、高校2年生の時に父親が無職になり、私の大学生生活は始まる前から閉ざされていた

働こうと思い父に相談すれば学校へ行かないのは許さないと言われ(いやいやそもそも…)と思ったのはまだよく覚えている

 

まあ色々ローンとかあるのだけど、それに当てはまらず借りれないぐらいうちの家は貧乏だった、というか受験料のお金すら準備できないレベルだったので大学へ受ける受けないの話どころじゃなかった

(結局受験料の安かった専門学校へ進んだけど、そこもいろいろあって辞めた。甘えてるという人もいるかもしれないけど、その時の色々はまた別の話)

 

電車の中では先程の母親が足を組み替える

混んでる電車でよく足を組むなあと思いながら、避けられずに1人分の座席を埋めている鞄が電車の振動でこちらにもたれかかってくる

 

なんとなく学歴コンプレックスと貧乏な自分を刺激されながら帰宅

頑張るしかない、取り戻せないから、今頑張るしかない