さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

いつかは君に幸あれ

 

帰りの電車の頃にはもうすっかり日が昇る時期になった

 

これから部活へ向かうショートカットの女の子たちの目線が、私にまとわりつく

 

私が学生の頃は、部活はしていなかったけど、髪の毛を伸ばすのは「女の子である」ということを許された女の子だけだと思っていて、ずっとショートカットだった

高校三年生の頃に伸ばしはじめたけど、アイロンを使うなんてことを知らなかったから、いつも汚く伸びっぱなしの髪の毛だった

かわいいヘアゴムを買うのも緊張して、雑貨屋さんで声をかけられた瞬間に逃げ帰るレベルだったし、今もあんまりそこから成長できてない

 

だから可愛く着飾れる女の子たちが許せなかった

校則をほんの少し破っても許されると思える心や「先生ほんと厳しいよね、いいよねこのぐらい」と言い切れる心が心底羨ましかった

 

どうして?私はこんなに我慢しているのに、とずっと思っていた

 

たまに今でも言われる言葉があるし、私の中で一つの呪いのようになっている言葉がある

 

「そんなふうに思われたくなかったら、行動を改めればいいのでは?」

 

だけど、これをいう相手は決まって私を疎ましく鬱陶しく思っていて、鬱陶しいのにそこを我慢せずはっちゃけてる私が許せないのだ

 

そもそも私がどんな服を着てどんなご飯を食べてどんな化粧をしてどんなことを思って何を好きで何を嫌いでいるかなんて誰にも囚われることないのにね

 

どうして相手にどう思われるかを気にして私が行動を改めなくちゃいけないんだろう

 

結婚式に白いドレスを着て行ったなら、お葬式に振袖を着て酔っ払って出席したなら怒られて当然だと思う

 

だけど世間は許してくれない

 

いたる所で「こうあるべき」みたいなのを求めてくるし、それには応じられませんと丁寧に答えても、どうしてこんな当たり前の考えがわからないんですか?と問いかけてくる

 

じゃあわからないと思われていて結構です、というとこんなこともわからないあいつはバカだ!と大声で叫んでくる

 

目に見えない敵をほったらかしてると、まるで私が悪者みたいになる

 

違うよ、そんな小さな小さな自分のことしか考えていない箱に他人を詰めようとする行為自体が馬鹿げているよ

 

と思うけど声は上げずにスルーする

 

なんだか話がめちゃくちゃだけど、今日電車で一緒だった女子高生たちの心が殺されないように、と願うばかりだね