さよならの死

冷たく光る太陽のようだ

問いただす 神さまがいなくても

 

「恋愛」というのは非常に特殊なものだと思っていた

 

親との関わり方とも、友人との関わり方とも少し違うので、ずっと恋愛というのは「彼氏」という肩書きがついた人間との一つの関わり方があるものなんだと信じてやまなかった

 

実際に1人の人と好きです付き合いましょうとお約束をして感じているのは、どちらかと言うと、友人関係の付き合い方とか、仕事先の人への付き合い方に近い

 

恋愛指南書!とか、彼とうまくやる方法(はあと)みたいなやつを、たまにTwitterやインスタで見るのだけど、これ多分友達とかには普通にしてる

(となるとやはり血縁というだけで関わり方が変わってくる家族という形の方がよっぽど特殊なんだろうなとも思う)

 

たとえば、友達の口癖や性格に違和感を覚えることはどんな人でも一度ぐらいあると思う。その違和感を友達本人へ伝えるか、伝えないか、伝えるならなんと伝えるか、そもそも伝えずにいるか、伝えずに会う頻度を減らすか、などなど、選択肢はいくらでもある

 

実際彼氏ともそうだと思うし、よっっっっっぽどお互いが寛容かめちゃくちゃできた人間じゃないと、やはり不満自体は出てきて当たり前なんだと思う

 

それを過去のわたしは脳みそがおかしかったので「きっとこの人はどこかで気づいてくれる」とか「この人は言わなくてもわかってくれる」とか「わたしが我慢すればいいだけなんだよね」とか「この人のこんなところを認められるのはわたしだけ」とか、それは全然恋愛とか愛情の類じゃなく、依存である。

 

そんなの、友人に思うか?まあ思ったとしても、学生時代だったり(わたしは学生の時にめちゃくちゃよくわたしが我慢すればいいと思っていた)あんまり長く続かなかったり、まあ実際お互いが我慢の関係なんて長く続かない

 

でも彼氏や彼女だけは違う、なぜかなんか神聖なものに扱われて、自分をわかってくれるような…………みたいな感じになる。あれなんなんだろう。

 

意外とメンヘラはわたし今から死ぬから!は彼氏とかにはやるのに、友達にはやらないのはなんなんだろう。助けてくれたのは友達だけ、とかになりがち。そりゃそうだよね、友達だからなにをどう伝えるか考えるよね。でもなんで彼氏とか彼女には我慢すればとかわたしや僕がが変えられる助けてあげられるってなるのかな…???????という疑問がめちゃくちゃ湧いてきた。

 

過去の自分を観察していると、今まで色々積み重なってた呪いが解けたんだろうな。でも、この呪いはどこからやってきたのかな〜

 

なんて、ここ1週間は考えていました。

おしまい。