明確に死にたい、死のうと思ったのがいつか覚えていない、でも小学生の時には指をカッターで切ったことがある、中学生の時には立派にリストカットをしていて、高校生、20歳のごろには両腕両太もも、剃刀の跡だらけだった
よく、生きたいから切っているという言葉がある。痛くないという人もいる。私は全然痛い。でもその瞬間よく眠れる、傷も多分浅い方だと思う、この傷が浅いとか言わなきゃ行けないのはなんなんだろうと思う
1月17日の朝、私はどうも暴れたらしい。あんまりよく覚えてなくて、大阪へ帰りたい大泣きしたらしい、そこから1週間、仕事を休んで大阪へ戻されたのが先週22日土曜日の夜。
彼氏には確か水曜日ぐらいに、別れたいと言われた
こんなに頻繁に喚いて仕事へ行けなくなって、動けなくなるのは耐えられない、支えられないと言われた。
私は支えてほしいのではなくて、そばにいて欲しかったのにな、と思った
頑張っていた、普通の人になろうと
毎日毎日家事をして、仕事へ行き、なんとかなんとかなんとかやっていたけど、だめだった。ダメなのだ。週5日働くということができないのだ。大阪へ戻ってきてから、仕事場から「もうこの先またしんどいのでは…」とやんわりと退職を勧められたらしい。人との電話が受け付けないので、親に電話対応してもらった。
28歳女性。世間が見たらどう思うんだろうな。
実家に帰ってきてから毎時間何か食べていたら木曜日と金曜日に突然何もいらなくなった。そしてめちゃくちゃ寝た。冬眠かというぐらい寝た。
ストレスが溜まっていたんだよ、まずはゆっくり休んでと親に言われたけど私はストレスを溜めて休みたかったんじゃなくて、仕事場へきちんと行って、土日回復できる体が良かった。何故こんなに弱い、何故、何故何故、こんなことを思ってると回復が遅れるらしいけど、責任感とかそうではなくて、許せなかった
普通の人になれるチャンスを逃した
彼氏に誘われて東京へ行き、いいな、私みたいになりたいと言った人もいた、必死こいて手に入れたんだよと思った、どうだこのザマだ見てるか?私のようになりたい、愛されて羨ましいと言った人たち、嘘ですよ、全部、パニックを起こせば普通の人は捨てます、理解のある彼くんと揶揄する人もいるが、私としては正直それでも、自分を出せてそれを許してくれる人がいる環境の方がよほどいい、そうやって前へ進むことを許してくれる人だったんだから、それでいいじゃないか
幸せそうに見えたか、それならそれで良かった
どれだけ必死に取り繕っても、私は普通になりきれなかった、普通には届かなかった
普通になるのを諦めたら?と言われても、私は、週5日、働くことが可能な体で、いつもニコニコしていて、誰にも愛される人が良かった。そうではないのだ、そんな人はいないとかそんなことはどうでもいい
ずっと死にたかった、もういいだろう
彼氏にはめちゃくちゃ駄々をこねた、嫌だ、別れたくない、そういうたびに私はもう彼氏のことが好きか全くわからない、でも、楽しかったのは事実、でもその楽しかったことを何にも無かったことにして生きるのがつらい
いいよ、もう、私はよく頑張ったと思う
頑張ったという人が頑張ってないとか、私みたいなのをジャッジして死にたいなら一人で死ねとか、なんだとか、みーーーーーーーーーんな誰かと比べて死ぬな、死ね、という、ジャッジができると思っている、
私の人生の話をしているのに
今日、「生きていたらいいことがある」という言葉の違和感について考えていた
タンスの角や、物置の角に小指をぶつけていたがってる人を見て、みんなどう思いますか?
痛そう、大丈夫かな?大丈夫ですか?声をかける人もいれば見守る人もいる、中には駆け寄って今のすごい音したけど!?と言ってくる人もいる
これを死にたい、つらい、という言葉に置き換えるとどうだ?確かに近しい人で心配する人もいる、でも、心配した次に出てくる言葉は「生きてたらなんとかなるよ」だ。
小指ぶつけた人間に「痛いのは数秒だから元気を出せ」というのか?なんとかなるというか?まずは痛そうとか、そもそも仕事場なら私だったら帰る時に話せたらもう大丈夫?とかいうな、実際言われたこともあるな、とか思っていた。
死にたいというのはみんなが心配するのに、実際言われるまでわからなかった、死ぬまで辛そうにしてるのがわからなかったとかもある。
でも、小指だって平気だと思っていたら折れていた、もよくあるはなし、スポーツ選手だとぶつかって折れすぎて曲がったまま、埋まったまま、とかも聞いたことある。
なのに何故かメンタルは大丈夫?の一言と、生きてたらなんとかなるよ、で済まされる
なんともならないと感じてるから死にたいのだ、さっき小指をぶつけたのがまだ痛いので帰らせてくださいは通る世の中、でも死にたいので休みたいですは退職を勧められる世の中、むちゃくちゃか、まあでもリスクがどうたらとか言いたいことはわかる、言いたいことはわかるがそれは経営者のリスクヘッジがどーの話で、私は私の話で人間の話をしている、人としてどうあるか、ありたいか、何ができるかの話なのに
もうずっと死にたかった、20歳で自殺未遂を起こしてから。私が飛び降りなかったのを「飛び降りなかったのに自殺未遂というな」と言った人もいたけど、危険を承知で歩道橋の柵越えるのはどういうことだと思ってんだ、と思ったこともある。
小学生の時に、すでに20歳で死ぬと決めていた。死ねなかった。もうそこから8年、楽しい思いをさせてもらったしいいんじゃないか。
自分の手で自分の人生を終わらせるぐらい、周りがなんと言おうと、私が許してあげないと可哀想なんじゃないか。
彼氏と過ごした1年間、楽しかった。別れるとなってから、向き合う気がなくて疲れたけど。
それでも私が死んでも変な奴いてたな、と生きてくれたらいいと思う
仕事場も別に悪い人はいなかった。あんまり馴染めなかったけど、楽しかった。
友達も、みんな優しい。私に関わった人みんなが自分の思い描いている幸せを掴んでほしい。
あと、これを見てる人に言いたいのは、どんなにバカな夢でも、こういう形で幸せになる!と思うのは大事ですね、わたしは20歳で死ぬ!と決めていたので、それ以降の夢が全然わからないまま、この歳になってしまいました。
赤西くんのライブも見たかったな、発表されたのにとか、それ以外の推しごとも、なんとなくぼんやり見たかったな、会いたかったなと思いながらあんまり考えると地縛霊とかになりたくないので、極力考えないようにしている
家族はよくわからない、妹はきちんと生きてほしいなと思う、あなたは大丈夫なので
手紙に遺書と残しても、あまり法的効力がないらしいので残すかどうか悩んでいる
彼氏と電話をしていて、財布買ってくれたら死なないとわざと言ったら、本当に買おうとしたので、そんなことより、毎日心配のラインと生きててほしいって毎日毎日朝起きてからと夜寝る前に定期的にくれた方が死ななかったよ、と思って止めた。全部私から、言いたいことを言った。私に言いたいことはないと言った。死んだら話せないのに。馬鹿だなあと思った。
馬鹿だなあと思いつつ、ちゃんと夢を叶えてほしいなと思った。
これで死ななかったらウケるなあ、と思いながら死ぬのは怖いとも感じている